「ふるさとは 遠くにありて 思うもの」
ってあるじゃないですか。
確かに、実家を出てから分かる出身地の良さとか、悪さとか、特異性とかありますよね。
実家のある宮城県塩釜市を例に取ると・・・
・ジャージのことをジャスと言う
・御神輿にお賽銭をあげる
・イカが美味い(東京で食うまで「あんなもん大して美味くない」って思ってました)
なんてのがあります。
以前、身内に不幸がありまして実家に帰った際に、親戚一同と喋ってたんですが、その時に都会っ子が1人いまして、丸っきり会話に付いて来れなくなってたんですよ。
「シャージとってけさいん」
「しゃ・・・、なに?」
「シャージ。てさもってくうやず」(何かを掘るようなジェスチャー付き)
「え、なに?スコップ?」
「スコップでなにくうのっしゃ。シャージだってば、シャージ」
ウチの田舎のほうではスプーンのことをシャージ(たぶん、”さじ”が変化したもの)と呼ぶんですけど、それが全く通じてない。
一応、文字にするんで発音は分かりやすく書いてますが、もっと曖昧な発音で喋ってます。
横で面白がってみていたら、今度はお墓の掃除を頼まれていました。
「あした、おんちゃんと、はがさ行って一緒にかだづげですけろな」
「え?あ、うん・・・」
一応、返事はしたものの、明らかに何を言われたのか分かっていませんでした。
余りにもかわいそうだったんで、通訳したんですが、その際に「会話聞くと宮城って感じだよなぁ」とつくづく思いました。
「ふるさとは トークにありて 思うもの」
って、感じです。
PR